新しい未来へ

新しい未来へと進む事とは一体何だろう。
最近は未来について色々な事を考える日々が続いています。

新しい世界、未知なる世界、そうした未来へと進もうとする時、人は大きな希望を胸に抱きます。しかしその中で何が起こるかわからない未知に対する不安の感情も同時に心の中へと芽生える事でしょう。その希望と不安の交錯する複雑な心境の中で人はいつも未来という世界と向き合っているのだろうと僕は思っています。

人は今までの世界、過去の世界へ変わらない安心感を抱くものだと思います。すでに起こった事実、過ぎ去ってしまった不変の事実、そうした過去の経験を元として人は自分自身の価値観や感性を形成していきます。そしてその経験の積み重ねによって人は少しずつ現実世界への認識力や思考力を強めていくのだと思います。

僕も今までの人生を生きてきて色々な経験をしてきました。成功もあり、失敗もあり、その中で培われた僕自身の価値観や感性は一概にみなさんに説明出来るものではないと思っています。

ただ今までの経験の中から僕はひとつ確信している事があります。
それは未来とはどうなるものなのか決してわからないという事です。
新しい未来には形が存在しません。どんなに経験を重ねても、どんなに様々な事を予測し対策を考えても、その先で起こる未来の形というものは、結局その時になってみないとどうなるのかはわからないのです。
過去に同じような事例がある場合、また人間が人為的に企画した物事などはもしかすると未来におおよその予測や見通しが立てられるのかもしれません。しかしそうではない全く初めての出来事の先にある世界、人間がまだ介入した事のない自然の世界へと足を踏み入れる場合、その先にある未来をはっきりと想像する事は人間には出来ないものなのです。

予想出来ない、どうなるかわからない初めて訪れる未来という世界、ではその未来という世界を自信を持って進むためには一体何が必要なのでしょうか。
未来へと進むために必要なもの、それはその未来への可能性を信じ続ける希望という想いなのではないかと僕は考えます。予想のつかない未知に対する不安や恐怖、その不安や恐怖を乗り越え、希望という想いの光を強く心に宿し、そしてその光を信じ続ける事が僕は新しい未来の扉を切り開くために絶対に必要なものであると想っています。

未来へと進むためにはその希望という想いを強く胸に秘め前へと踏み出す事です。その希望を強く強く宿した心の輝きによって必ず理想の未来が形となって表れるはずだと僕は信じています。

さあ未来へと進みましょう。不安や恐怖を希望の光で上回り、また新しい世界を創造しましょう。

希望という光に満たされた未来が、皆の理想とする世界として誕生する事を僕はずっと信じ続けています。


未来を想う時 ふと見上げた空の表情
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# by kenntatusennsei | 2017-09-21 18:25 | こころおもい | Trackback | Comments(0)

光の詩(流)

その流れに身をまかせよう

その流れに身をゆだねよう

強く勢いのある流れ

速く鋭い流れ

静かで緩やかな流れ

優しく穏やかな流れ


その流れを深く深く味わい楽しみ

そしてその流れにこの身をゆだねよう

いろんな流れがあって

どの流れにまかせたら良いのか迷うけど

そんなに気にしなくても大丈夫


なぜなら

その流れの源流は結局みんな一緒なのだから

その源流の流れが真実であるならば

その源流の流れが清く美しいものであるならば

そこから生まれた流れはきっと

必ず皆の想いを結ぶ大きな流れへとつながるはずだから


その流れに身をまかせよう

その流れに身をゆだねよう

その流れの広がる先

その流れのつながる先

それはきっと

皆の想いが結ばれた光輝く理想の場所であるはずだから







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# by kenntatusennsei | 2017-09-09 11:51 | 光の詩 | Trackback | Comments(0)

これからも一緒

お盆も終わり8月も後半に突入しました。
みなさんは充実したお盆を過ごされたことでしょうか。

僕はお盆は実家の福島へと帰郷、数日をゆっくりと過ごしそして白石へと戻りました。雨の続くお盆ではありましたが、家でのんびり過ごすことができ、良い休養期間となりました。

今回はその実家での滞在期間中に福島県郡山市にあります花と緑のみちのくペット霊園を訪れました。
このペット霊園には幼少期に飼っていた犬が眠っています。確か小学校3年生の時だったでしょうか、朝学校へ登校しようと家を出た時に犬小屋から少し離れた場所で横になって亡くなっていたのを思い出します。僕はしばらくその場に座り込み、そして辛い悲しみの中でその日は学校へ向かった記憶があります。その後で両親がペット霊園の方へ連絡し、現在の場所へ埋葬される事になりました。
あの時は飼い犬の死を受け入れる事ができずに僕はペット霊園へは一緒に行きませんでした。
そのうちに行こう、そのうちに行こうという中で会いに行こうとする気持ちを心の奥へ閉じ込めてしまうようになり、その後結局ペット霊園には行かずじまいとなっていました。
あれからおよそ28年の歳月が経ちます。随分と長い間待たせてしまった申し訳ないという気持ちを胸に秘め、そして意を決して今回ペット霊園へと向かいました。

ペット霊園はとても綺麗な場所でした。今まで長い間訪れる事が出来なかった申し訳ない気持ちと、一緒に過ごした時間への感謝の気持ちを込めて霊園中央で手を合わせました。今までの想いが溢れてきたのか胸がとても熱くなりました。そしてお参りが終わり、目を開けるとスッとその胸の高鳴りが鎮まり、とても晴れやかで心地良い気持ちになる事が出来ました。
死を受け入れる気持ち、命に向き合う気持ち、その大切さを強く強く感じた時間でした。
これからもこの気持ちを忘れずに進んで行きたいと思います。


随分と長い間待たせちゃったね。
ごめんなさい。
あの時は一緒によく遊んだよね。
いつも楽しかったよ。
今日は会えて本当に良かったよ。
また来るからね。
本当にありがとう。
これからも一緒だよ。


森と緑みちのくペット霊園 景観
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# by kenntatusennsei | 2017-08-21 23:34 | こころおもい | Trackback | Comments(0)

異なる世界への理解

8月も上旬が過ぎ、比較的涼しい毎日が続く中お盆の時期を迎えようとしています。それぞれがそれぞれの想いと共にお盆をどのように過ごそうか色々と考えている、今はそういった頃なのではないでしょうか。

最近は今年の初めより思案していた計画がやっと形になる所までたどり着けたということで、気持ちの安堵感からか疲れが一気に表に現れてきている状況です。心身の不安定感の中で体調も崩しがちの日々が続いていますが、それでもひとつの大きな流れが無事成立出来た事への喜びが強く心に残り、ほっと胸をなでおろした心境の中で今この時を過ごしています。

今回その計画を実践する中で色々な人達とのコミュニケーションのやりとりを行ったわけですが、その中で感じた事はやはりみなさん目的は同じでも普段はそれぞれが異なる世界、異なる環境に存在しているため、物事の認識力に若干のズレや誤差が生じているという事です。
その若干のズレや誤差がコミュニケーションが深くなるにつれどんどんとはっきりしていってしまい、その結果お互いを理解することが最終的に非常に難しいものとなってしまうのだという事が今回一番強く感じた事でした。

普段から同じ世界、同じ環境にお互いが存在していればその中で生まれる共通認識は必然的に明確なものとなり、その明確な共通認識はお互いの存在を理解する良いきっかけに繋がっていくものとなっていくのだと思います。
その共通認識の共有によって互いの理解は自然と深まりやすくなるものですが、それが異なる世界の人達とのコミュニケーションとなると、そうした共通認識が不明確になる場合が多く、それが原因となって深いコミュニケーションを取る際の大きなトラブルの元になっていってしまうのです。

新しい世界へと進むためには今までの自分の存在していた世界ではなく、今までの自分とは異なった世界の人達と交流していく必要があります。そうした中で互いの共通認識の把握と確認、そしてズレや誤差を修正してどれだけ正確で深いコミュニケーションへと結び付けていけるのかが、今後の異なる世界の人達との円滑なコミュニケーションを進めて行くにあたっての重要なポイントとなるのだという事を今回強く感じさせられました。

異なる世界への理解、これは多くの誤解を招きやすい非常に難解な課題であるのではないかと思います。
しかしこの難解な課題の先にこそ本当に探していた答えが隠されているはずだと思います。そしてその隠されていた答えこそが次なる扉を開く鍵となり、その課題の解決によって新たなる世界への道が必ず切り開けるのだと僕は信じています。
今後も今まで存在していた自分の世界だけにとらわれず、様々な世界、様々な環境から生まれる認識力に変化順応できるよう、どこまでも透き通った水のような心を持って、前に進んで行きたいと思います。


今回関わった異なる世界に存在するみなさんへ

今回はみなさんのご協力のおかげで無事ここまでたどり着く事が出来ました。大変感謝しています。ありがとうございます。
今回の記事の内容にもありますが、コミュニケーションを深めていく際に起こっていたであろう共通認識のズレなどにより色々と誤解を招いた事も多々ありました。この場で深くお詫びしたいと思います。

今後も色々な問題や課題などたくさん出てくるかと思いますが今回の経験を生かし、これからもみんなでしっかりと相談、コミュニケーションの充実を図り、その問題としっかりと向き合って解決案を見出し、そしてまた新たなる世界への道を共に切り開いていきましょう。

みなさんとこれからも本当の光、本当の想いを発信していける関係であり続けられますよう僕は心から願い続けています。
今回は本当にありがとうございました。





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# by kenntatusennsei | 2017-08-12 19:40 | こころおもい | Trackback | Comments(0)

想いを届ける難しさ

長かった7月も終わり8月を迎える事となりました。8月もまた続くであろう変わらぬ暑さをどう乗り切ろうか、そうした事を考えたりしながら日々を過ごしています。

最近は想いを届ける難しさについて色々と考える事が多くなっています。
僕はこうしてブログの記事としてみなさんにいつも自分の想いを届ける事を習慣にしているのですが、この文章で想いを伝えるというのはとても自由なものであり、そしてとても難しいものであるのだと最近は強く考えさせられています。

想いの伝達はそれを感じた瞬間の心の状態を出来る限り正確に伝えられる事が理想であるように僕は感じます。
ただその想いを現わすための言葉や文章表現は多種多様とても自由なものであり、そして人によって解釈の仕方も様々であると思います。
これは良い意味でその想いを解釈してもらえれば自分も受け手も良い気持ちとなり特に問題は無いのですが、そうではなく想いを表すために用いた言葉や表現が違った意味で捉えられ、そしてそれが間違った想いとして解釈がされてしまうと本来の想いとはまた別の方向へと考えが向かっていってしまい、大きな誤解を生み出してしまう事になります。
そこで生じた誤解はまた他の人へと伝わり、それはさらなる誤解を生み出す事につながります。結果としてその時に感じた本当の想い、本当に伝えたい想いが解釈の違いにより大きく歪曲し、相手に正確に伝わらなくなってしまうのです。
同じ言葉、同じ文章表現を用いてもその言葉自体の印象や意味合いの解釈は人それぞれ違うと思います。そうした中で同じ言葉一つとってもその意味は何通りにも解釈されてしまうという恐れがあるのです。
相手にわかりやすく伝える文章の難しさ、本当の想いを相手へと届ける文章の難しさを今とても強く実感しています。
僕はこうしてブログなどでこれからも文章を使って想いを届けていく事を続けて行くと思います。そうした中で相手に本当にわかりやすく想いを伝えられる文章は何か、そして自分自身の本当の想いを届けるための文章とは何かをもっともっと深く追求していかなければならないと強く感じています。

想いと言葉が上手く一致し、それを最高のタイミングで相手に伝えられるようになる。そうした文章を今後は追求して行きたいと思います。





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# by kenntatusennsei | 2017-08-01 21:49 | こころおもい | Trackback | Comments(0)
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総合武術達人会での出来事と、天と地の間にいる中での想いをここに記します。(画像は天地流居合術雲払 太刀 銘 宮城典真)


by tokihikaru
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